日本語教育の推進に関する法律 施行1年を振り返って

「日本語教育の推進に関する法律」施行1年を振り返って

日本語教育のステークホルダー

ちょうど1年前の2019年6月、「日本語教育の推進に関する法律」(以下、日本語教育推進法)が公布、施行されました。超党派の議連が中心となってこの法律に関する議論を開始したあたりから、強い関心をもって多くの日本語教育関係者がその成立を待っていたと思います。この法律は日本における日本語教育の意義を支える存在であるだけでなく、日本語教育を推進する責務を負う者として、国、自治体、事業主の3者を明示している点においても、極めて重要です。

おりしも先月の先週の2020年6月23日、この法律の中身にあたる「基本方針」が日本語教育推進会議での議論とパブコメを経て閣議決定されました。これで、この法律の方向性がさらにはっきりとしました。「日本語教育の推進に関する法律」成立から1年経った今、この法律を苗床として、日本語教育に関わるみなさんが、日本語教育という植物を今後どう成長させていくとよいのか、またどういう点にその成長を阻害する課題があるのか、改めて考えてみたいと思います。

まず、誤解して頂きたくないのですが、この法律は決して日本語教育関係者のためだけの法律ではありません。先日閣議決定された「基本方針」の中でも「関係省庁・関係機関間の連携」の必要性が明記されていますが、日本語教育はこれを管轄する文化庁とその関係者だけで進められるような性格のものではないからです。確かに日本語教育を学問や研究として捉えた時、それを支える者の多くは大学や各教育機関で活躍する日本語教師や研究者ということになると思います。

しかし、日本語教育の教育現場(フィールド)は大学などの教育機関だけではありません。全国各地に存在し、ボランティアスタッフを中心として運営されている日本語教室も日本語教育のフィールドに含まれるでしょう。あるいは、ぼくたちの専門は外国人雇用企業の支援ですから、こういった企業をステークホルダーとして挙げることもできます。


加えて、国内のみならず海外にも多くの日本語学習者と教育機関が存在し、その支援についてもかねてより国際交流基金(JF)のみなさんが大いに尽力されています。このように考えると、日本語教育を支える人や組織が多岐にわたることに気づかされます。日本語教育を、広義、すなわち社会全体で捉えようとした時、これに関わるステークホルダーは実に多様であるということを、冒頭でまず確認しておきたいと思います。

日本語教育に責務を負う3者について

日本語教育推進法では、これらの多様なステークホルダーのうち、3者を、日本語教育推進の責務を負うものとして明記しています。それは国、地方公共団体、そして事業主です。ここでは、これら3者について触れたいと思います。第一に国の取り組みについてですが、日本語教育推進法の主導的な立場にある文化庁はもとより、たとえば僕が外国人雇用企業支援の分野で関わっている経済産業省や厚生労働省など、他省庁の職員のみなさんは、情熱と意欲、また社会的課題への問題意識を強く持って、外国人雇用企業支援のありかたについて真剣に考え、前進しようとしています。特に彼らは外国人雇用企業の課題を分析する際の視点として、働く外国人スタッフがどういう点でどのような課題を抱えやすいのか、という視点にとどまってはいません。外国人スタッフ側だけでなく、彼らのマネジメントにあたる日本人スタッフや企業側が、同じくどういう課題にどのような背景を伴って直面しているのか、といった視点や問題意識を明確に持ちながらこの課題に取り組んでいます。

繰り返しますが、日本語教育を社会全体の課題と捉えると、この視点は特にこの法律の中で、非常に重要なものであることが分かると思います。外国人のみなさんは、学校や職場、地域といったように、様々な形で日本社会と関わりを持つ中で、その生活を充実させていくからです。また現実に各省庁は、日本語教育推進法の施行から1年経った今年度も、外国人雇用企業支援の取り組みを、様々な新規事業の形で積極的に推進しようとしており、実際に僕がアドバイザーなどとして関わっている中央省庁の事業だけでも、4事業ほどが進行しています。これらは全て、外国人雇用企業の支援に関連するものです。

次に、地方公共団体のみなさんも、弊社と関わりのある方々は、同様の問題意識を持ってこの分野に関わっていらっしゃいます。弊社を招聘して地域の企業支援に関わらせて頂いている都道府県のみならず、市町村レベルでも、担当の自治体職員が必死に予算を確保して、それを地域の外国人雇用企業支援に充てている事例を、僕はたくさん知っています。彼らに共通するのは、今後先細りしていくであろう地域の人口減少問題と、地域経済の今後に対する強い危機感です。あるいは、そういう状況にあって、国籍に捉われず、多様な地域住民が住みやすい街づくり、地域づくりを実現させたいという思い、情熱です。

国際(交流)寄りの部署と労働(産業)寄りの部署との分断といった、縦割りの弊害は全国各地に存在しますが、この分断すら乗り越えようと努力している自治体も知っていますし、全く同様の観点から、中央省庁の中でも、全く同じ問題意識を持って関係者の連携を進めている方の存在も、僕は知っています。業務を進める上で、自分が所属する組織のありかた自体を変えていくのは、決して容易なことではありません。そうした大変な労力をものともせず、国や地域のために貢献したいという思いでこういった行動がとれる彼らには、本当に頭が下がります。

さて、今年度の自治体の動きについて補足しておきたいことがあります。当社が調べた範囲の限りですが、日本語教育推進法の施行を受けて、企業などが日本語研修を外部の日本語教育機関に依頼した場合など利用できる助成金制度を、今年度、全国各地の都道府県や市町村が制度化し、運用しています。外国人スタッフへの日本語教育は、その企業で働く外国人スタッフのさらなる戦力化や業務効率向上に対する有効な手段の1つです。

これらの動きを後押しするのも、各地域にふさわしい助成金制度について検討し、予算化した自治体職員の情熱と努力です。こういった取り組みに、僕たちはあくまで外部の人間としてしか関われませんが、外国人雇用企業の支援を進める人間として、こういった自治体の企業支援の動きには励まされます。なお全国の日本語教育に関する助成金制度については、近いうちに情報をとりまとめ、企業や関係者のみなさまと共有する予定でいます。

誰に対する日本語教育なのか

最後に、日本語教育推進の責務を負う事業主について考える前に、どうしても触れておきたいことがあります。一般に「日本語教育」というと、職業や立場を問わず、おそらく多くの方が、「外国人に対する」日本語の教育のことを想像することと思います。日本語教育に携わっている日本語教師の多くでさえ、そういう意識でいます。それは、多くの研究者や教師にとってのフィールドが、外国人への教育現場だからなのかもしれません。つまり、今も昔も、ほとんどの日本語教師は外国人を専らその教育対象としてきたわけです。

しかし、外国人雇用を進める企業で起きている様々な問題について考えれば考えるほど、これらが決して外国人スタッフへの日本語教育だけでは解決できないのも、また事実です。この点について、基本方針の中では先進的な内容がすでに盛り込まれています。

これは具体的に、第2章1(1)ウ「外国人等である被用者等に対する日本語教育」における「職場等における効果的なコミュニケーションのため受入れ側の環境整備を図ることが重要である」という文言にあたります。これなどは、日本語教育がすでに外国人だけでなく、日本人に対するものでもありうるということを示唆するという意味において、非常に画期的な文言であり、今後の日本語教育のありかたそのものを問うているように思えます。
今世紀以降の日本語教育は、決して外国人だけに対して実施するものではありません。

企業と教師の意識のずれ

このようにみてくると、日本語教育の推進の責務を負う事業主には、自社で雇用する外国人スタッフへの日本語学習の機会の提供が求められていると同時に、自社の日本人上司側への日本語コミュニケーション研修や企業としての体制整備が求められているわけですが、では当事者である外国人雇用企業は、この法律をどう受け止めているのでしょう。これについて、僕たちは大いに不安を感じています。というのも、同じく日本語教育の推進に対して責務を負う国、及び地方公共団体とは対照的に、この法律について、外国人雇用を進める全国の企業が、その存在自体をほとんど知らないのではないかという危惧があるからです。

弊社は日本語教育推進法施行の前から、コロナ渦で混乱する時期を含めて現在に至るまで、継続的に全国の外国人雇用企業向けのセミナーやワークショップを実施しています。年間で約1,000社ほどの企業にお話をしているのですが、地域、企業規模、業種や外国人採用目的にかかわらず、ほとんどの企業(で働くスタッフ)が、この法律の存在を全く知らないのです。逆に、知っていると回答する企業は、セミナー参加企業の1〜2%に過ぎません。ここに日本語教育関係者と企業との大きなギャップ、また国や自治体と企業との大きなギャップがあります。

加えて述べると、日本語教育推進法の施行から1年経った今も、弊社は日本貿易振興機構(JETRO)などの事業を通して全国の企業にオンラインセミナーの提供を続けていますが、講演をする立場から、このギャップが今でもほとんど全く埋まっていない感覚があります。日本語教育関係者は、企業と連携し、このギャップを早急に埋めていく必要がありますが、しかしそれは容易なことではありません。

この法律の存在自体を知らない企業に対して、法律の意義について理解をしてもらい、自社の外国人スタッフや日本人スタッフの育成にコストをかけてもらうために、日本語教育関係者は一体何をすべきなのでしょうか。外国人雇用において、企業こそが受益者なのだから、教育の責務を果たせ、という説明で、本当に彼らは動くのでしょうか。日本語教育推進法に事業主の責務が明記されているのだから従え、という説明で、彼らは動くのでしょうか。多くの自治体や企業の支援を現場で続けている僕たちには、そうは思えません。むしろ、(日本人に対するそれを含めた)日本語教育の必要性について、その意義やメリットが分かっている僕たちが、きちんと企業に説明する責務を負っているのではないでしょうか。
日本語教育推進法が日本語教師の仕事の裏づけとなるのだとしたら、日本語教師こそ、この法律の意義や役割を様々な立場の人に説明し、それを社会に広げる、最も大きな責務を負っているのかもしれません。

基本方針に足りないこと

このことをふまえ、日本語教育推進法の中身として示された「基本方針」の中身について、今回は第2章1(1)「国内における日本語教育の機会の拡充」のみ触れます。ここには5つの学習支援対象それぞれに対して必要とされる日本語教育の内容が書かれています。5つの対象というのは、

ア・幼児、児童、生徒等
イ・留学生等
ウ・被用者等(働く外国人スタッフ)
エ・難民
オ・地域在住のみなさん

のことです。よく読むと気づくのですが、この5つは、2つのグループに分類することができます。それは、日本語教育が必要とされている背景、課題を明文化しているグループと、そうでないグループです。背景や課題が丁寧に示されているのは、このうちアとオのみであり、イ、ウ、そしてエについては、そもそもなぜ日本語教育を推進しないといけないのか、背景情報の記述があいまいになっています。

たとえばイについてですが、留学生が増え、一方で彼らの就職が難しいという、いわば機会損失の視点で背景は語られているものの、昨今の留学生の多様化や質の低下、就職率といった核心的な話題は避けられています。

ウについてはさらに顕著で、働く外国人スタッフの抱える課題、受け入れ企業の抱える課題、両者の苦悩やストレス、トラブルなどに関する記述は、ほとんど全く見当たりません。就職後(入社後)の問題や課題などの提示がないのです。

 ただでさえ、ビジネス日本語教育に携わる日本語教師は少ないのが現状です。日本語教育推進会議は、この点を充分に議論したのでしょうか。入社後のコミュニケーションに関する課題について、充分に検討したのでしょうか。
企業における日本語教育の経験豊富な教師からの聞き取りを実施し、この分野に明るい研究者の知見を、この法律に生かそうとしたのでしょうか。そういった取り組みなしでは、手段の目的化が起きたとしても不思議ではありませんし、外国人雇用企業に対しても、説得力を伴って日本語教育の推進に関する責務を求めることなど、できないのではないでしょうか。

おわりに

幸いなことに、基本方針は概ね5年を目安としてその内容に検討を加えることが定められています。もし日本語教育推進法が、日本語教育を広く社会全体の問題として捉えることを目指すのなら、この議論に加わるべき人も、もっと多様でないといけません。これからの5年で、この社会はさらに外国人雇用を推進するような動きをみせています。

一方で、外国人雇用企業支援のなり手は育っておらず、また企業向けのビジネス日本語教育を担える教師も圧倒的に少ないという課題に対する抜本的な解決策は、いまだ見いだせていないままです。自治体職員の意識も地域ごとにばらつきがあり、特にこの領域の知見を有する職員は非常に限られています。
だからこそ、より多くの日本語教師が、広い視野と当事者意識を持って、それぞれの立場からこれらの社会的課題に向かっていく必要性があると思いますし、日本語教師だけで課題解決を目指すのではなく、より広いステークホルダーとの連携が求められているのだと思います。これから5年、信頼できるみなさんと精一杯の連携をとりながら、また僕たちは僕たちができることを進めていきたいと思います。

最後までお読み頂き、まことにありがとうございました。

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